アーリーバード・ブックス
後藤明生・電子書籍コレクション
Goto Meisei ebook Collection
Amazon Kindleストアにて
絶賛発売中!
―――――――――長編小説―――――――――
『挾み撃ち』
http://www.amazon.co.jp/dp/B00G967872
あの外套はいったいどこに消え失せたのだろう?――。
お茶の水橋に佇み、主人公の〈わたし〉は、二十年前、東京へ出て来た際に着ていた、旧陸軍の外套のことを思い出す。その外套を探し求め、大学浪人の時期に過ごした蕨を訪ね、さらに、敗戦を迎えた生まれ故郷の北朝鮮・永興、中学・高校を過ごした筑前などの記憶を彷徨い、脱線を繰り返す。1973年に書き下ろしで発表された、“アミダクジ式”長編小説の原点。
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『吉野大夫』
(第17回・谷崎潤一郎賞受)
http://www.amazon.co.jp/dp/B00GLOX6AA
『吉野大夫』という題で小説を書いてみようと思う――。
かつて信濃追分に実在した遊女・吉野大夫の史実を探し求める主人公の〈わたし〉。吉野大夫をキーワードにして、さまざまな文献、土地、人々を遍歴した結果、彼女の墓や過去帳は見つけ出せたが……。はたして、小説を書き始める際に〈わたし〉がノートに箇条書きにした疑問符は、解決できたのか? 第17回・谷崎潤一郎賞受を受賞した、1981年に発表された長編小説。
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『首塚の上のアドバルーン』
(第40回・芸術選奨文部大臣賞)
http://www.amazon.co.jp/dp/B00H37ITC4
そしてベランダに出て見ると、
黄色い箱の真うしろのこんもりした首塚の丘の上に、
アドバルーンが浮かんでいました。
千葉の幕張に越してきた〈わたし〉は、マンションの十四階のベランダから「こんもり繁った丘」を発見する。その丘を訪れ、偶然、見つけたのは、地名の由来となった馬加康胤の首塚だった。そこから話は、新田義貞の首塚、『太平記』、『平家物語』、『瀧口入道』、『徒然草』、『仮名手本忠臣蔵』と、アミダクジ式に飛躍し、最後には『雨月物語』へと……。1989年に発表され、第40回・芸術選奨文部大臣賞を受賞した長編小説。
◉目次
▶︎ピラミッドトーク……………「群像」一九八六年九月号
▶︎黄色い箱………………………「群像」一九八七年新年号
▶︎変化する風景…………………「群像」一九八七年六月号
▶︎『瀧口入道』異聞……………「群像」一九八八年六月号
▶︎『平家』の首…………………「群像」一九八八年九月号
▶︎分身……………………………「群像」一九八八年十一月号
▶︎首塚の上のアドバルーン……「群像」一九八九年新年号
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http://www.amazon.co.jp/dp/B00HBMSCCS
十月某日。日曜日。晴。
阿倍野橋行き十時二十一分発の市バスに乗るつもりでマンションを出た。
ある時はマーラーの交響曲を聴くために、またある時は宇野浩二の文学碑を訪ね、さらには大阪城公園を散策し、そこで知った「四天王寺ワッソ」の見物に出かけ……。単身赴任の初老の男が、地図を片手に大阪の街を歩き回り、遂には俊徳丸の墓と思われる古墳へとたどり着く。「マーラーの夜」「十七枚の写真」「大阪城ワッソ」「俊徳道」ほか全8作から成る、日記文、書簡文、講演録など、さまざまな形式で記された連作小説。1995年、発表。
◉目次
▶︎「マーラーの夜」……………「新潮」一九九二年一月号
▶︎「『芋粥』問答」……………「新潮」一九九一年一月号
▶︎「十七枚の写真」……………「群像」一九九二年五月号
▶︎「大阪城ワッソ」……………「新潮」一九九三年一月号
▶︎「四天王寺ワッソ」…………「新潮」一九九四年三月号
▶︎「俊徳道」……………………「群像」一九九四年一〇月号
▶︎「贋俊徳道名所図会」………「新潮」一九九五年一月号
▶︎「しんとく問答」……………「群像」一九九五年三月号
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『四十歳のオブローモフ』
http://www.amazon.co.jp/dp/B018V50FPK
ひとが眠っているときに犬なんか拾ってきやがって!
40歳の誕生日を迎えた小説家・本間宗介は、ロシアの小説『オブローモフ』のような怠け者として生きることを理想としている。しかし、妻子とともにマンモス団地に暮らす彼に、そのような生活は許されない。オブローモフに憧れながらも、深夜から早朝まで原稿を書き、月に一度はテレビに出演し、旅行記を書くためシベリアに行き、講演先では色紙を書き、妻の教え子の結婚式では仲人を務め、子犬を拾ってきた息子に「団地では飼えない」ことをどのように諭すべきか逡巡し……。逃げられない日常をユーモラスに描いた著者初の長編小説。『夕刊フクニチ』に「四十歳」と題して1972年5月1日〜8月31日(計117回)掲載。単行本『四十歳のオブローモフ』(文藝春秋・1973年8月25日刊)、文庫『四十歳のオブローモフ』(旺文社文庫・1978年10月1日刊)に所収。
◉目次
▶︎《眠り男》の眼
▶︎マンモス団地の日常
▶︎誕生日の前後
▶︎旅の空
▶︎根無し草
▶︎前厄祓い
▶︎捨て犬
▶︎後記
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『めぐり逢い』
http://www.amazon.co.jp/dp/B015X4LLTG
何故この3DKの中の生活が、
このテレビの一時間よりも面白くないのだろう?
家族の中で最も猫嫌いだった〈わたし〉が、ペット禁止の団地で猫を飼うことになる。野良猫のゴンと牝猫のナナだ。しかし、〈わたし〉には不思議だった。「妻や子供たちが、何故、自分の猫をそれ程までに飼いたがるのか。単に猫一般を愛するのではなく、自分の飼猫として可愛がらずにはいられない気持が、不思議だった」――。そして、ある日の午後、謎の電話がかかってくる。聞き覚えのない女の声は、「お宅では最近、猫を飼われましたね。あの猫は、余りいい猫じゃあありませんよ」と告げるのだった。夏目漱石の吾輩は猫であるを本歌取りしたユーモア長編小説。新聞三社連合各紙(北海道新聞、中日新聞、西日本新聞)および東京新聞に1975(昭和50)年9月21日から12月31日まで連載。単行本めぐり逢い(集英社1976年3月25日刊)に所収。
◉目次
▶︎第一章:飼育以前
▶︎第二章:変心
▶︎第三章:猫番
▶︎第四章:好き嫌い
▶︎第五章:立ち別れ
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『噓のような日常』
http://www.amazon.co.jp/dp/B013QEKK9C
お母さん、いまわたしはどこにいるのでしょう?
わたしが帰る場所はあるのでしょうか?
敗戦の年に北朝鮮で死んだ父親の三十三回忌に集う親族たち。父親の亡きがらは、当時、中学一年生だった〈わたし〉と兄とで凍てつく大地に墓穴を掘り、埋葬した。毎月の仕送りのたびに季節の花のことを記した手紙をよこす母親は、補聴器なしでは会話が難しくなった。若い頃、絵画を習っていたからか、スケッチブックに折々の花の絵を描くのが、いまの母親の日常だ。七人の兄弟は、それぞれ家庭を持ち、子供もいる。しかし、〈わたし〉と年子の弟だけは、法事に来られないのだという――。夢かたり行き帰りに続き、自身の引揚体験を描いた長編小説。季刊「文体」1号(1977年9月)〜5号(1978年9月)に発表。単行本噓のような日常(平凡社・1979年2月15日刊)に所収。
◉目次
▶︎大阪土産……………季刊「文体」一号(一九七七年九月)
▶︎三十三回目の夏……季刊「文体」二号(一九七八年一月)
▶︎法事前の数日………季刊「文体」三号(一九七八年三月)
▶︎花山里………………季刊「文体」四号(一九七八年六月)
▶︎夜に帰る……………季刊「文体」五号(一九七八年九月)
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http://www.amazon.co.jp/dp/B011P0M9ES
自分が本当に帰る場所は永興なのだと、
わたしはいまだにどこかでそう考えているらしいのである。
習志野のアパートへと引っ越した〈わたし〉は、そこから九州へ、大阪へ、信濃追分へ、会津へと出かけて行き、そしてまた戻って来る。その中で、およそ30年前、13歳まで暮らした生まれ故郷の北朝鮮・永興での出来事や、当時の友人たちを振り返る。ある日、同じく永興から引揚げてきた男から電話があり、当時の出来事を話しはじめる。一方、会津に暮らす旧友は、引揚後しばらくしてから勤め先の銀行を辞め、自宅に引きこもるようになった。過去の断片に固執する引揚者の饒舌と、過去を捨て去ろうとする引揚者の沈黙に、〈わたし〉は呆然としていた――。夢かたりに続き自身の引揚体験を描いた長編小説。文藝誌「海」1976(昭和51)年8月号と1977(昭和52)年7月号に発表。単行本行き帰り(中央公論社・1977年刊)に所収。
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『夢かたり』
http://www.amazon.co.jp/dp/B00GLOX6AA
わたしは「大日本帝国ノ臣民」であり、
この永興はそのわたしの生れ故郷だった。
「夢を見た。場所はわたしが小学校時分に住んでいた北朝鮮の永興という小さな町で、わたしは自転車に乗って切手を買いに行った」――。敗戦から30年の時が経ち、「わたし」は生まれ故郷である北朝鮮・永興での出来事や、そこで出会った人々のことを思い出す。中学一年まで暮らした生まれ故郷は、ある日とつぜん異国となり、そこを追われた「わたし」たち家族は、途中で父と祖母を亡くしながら38度線を超え、九州の田舎町へと引揚げる。当時の資料を探し求め、同郷から引揚げてきた人々を訪ね歩く「わたし」は、過去から現在へ向う時間と、現在から過去へ向う時間、その「二色刷りの時間」を彷徨する――。記憶が記憶を呼び覚ます12篇によって紡がれた連作長編小説。単行本夢かたり(中央公論社・1976年刊)に所収。
◉目次
▶︎夢かたり…………「海」一九七五(昭和五〇)年一月号
▶︎鼻…………………「海」一九七五(昭和五〇)年二月号
▶︎虹…………………「海」一九七五(昭和五〇)年三月号
▶︎南山………………「海」一九七五(昭和五〇)年四月号
▶︎煙…………………「海」一九七五(昭和五〇)年五月号
▶︎高崎行……………「海」一九七五(昭和五〇)年六月号
▶︎君と僕……………「海」一九七五(昭和五〇)年七月号
▶︎ナオナラ…………「海」一九七五(昭和五〇)年八月号
▶︎従姉………………「海」一九七五(昭和五〇)年九月号
▶︎二十万分の一……「海」一九七五(昭和五〇)年一〇月号
▶︎片恋………………「海」一九七五(昭和五〇)年一一月号
▶︎鞍馬天狗…………「海」一九七五(昭和五〇)年一二月号
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『思い川』
http://www.amazon.co.jp/dp/B01C52Q9AU
お父さん、あの戦争が終ってからもう二十七年になります。
ということは、お父さんが死んでしまってから、
二十七年になるということです。
「自分はこの地に、到着したのではない。あらかじめ目ざした場所に到着したのではなくて、考えてもみなかったところへ漂着したのに過ぎない」――。敗戦の年に亡くなった父親の友人を訪ねて当時の話を聞き出そうとする「父への手紙」(群像・1972年7月号)、生まれ故郷である旧制中学校の同窓会に初めて出かける「釈王寺」(文學界・1974年10月号)、亡くなってから初めて夢に現れた父親の姿に思いを巡らす「父の夢」(海・1974年9月号)、近所の綾瀬川へ家族で土筆を取りに出掛けながら故郷の川・龍興江での記憶をたどる「思い川」(群像・1974年8月号)――。筆者自身の原体験をモチーフにした四編による連作長編小説。単行本『思い川』(講談社・1975年2月24日刊)、文庫『思い川』(講談社文庫・1978年5月15日刊)に所収。
◉目次
▶︎「父への手紙」…………………「群像」 一九七二年七月号
▶︎「釈王寺」………………………「文學界」 一九七四年一〇月号
▶︎「父の夢」………………………「海」 一九七四年九月号
▶︎「思い川」………………………「群像」 一九七四年八月号
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『スケープゴート』
https://www.amazon.co.jp/dp/B01I0RAAKE
彼はただひたすら文学のために書いて書いて書き続けました。
それは借金との戦いであったけれども、
同時にそれは小説というジャンルとの戦いであり、
小説の可能性との戦いであったわけです。
太宰治『津軽』『思い出』『懶惰の歌留多』『十二月八日』、カフカ『アカデミーへの或る報告書』『万里の長城』、ファーブル『昆虫記』、ドストエフスキー『罪と罰』、プーシキン『スペードの女王』、プラトン『饗宴』、チェーホフ『かもめ』、内田百閒『女煙草』……。テキストからテキストへとアミダクジ式に遍歴しながら紡がれた贋書簡や贋講演録による7作品を所収した短編小説集。単行本『スケープゴート』(日本文芸社)一九九〇年八月一日刊。
◉目次
▶︎サイギサイギ――――「文學界」一九八二年一月号
▶︎変形――――――――「文學界」一九八二年五月号
▶︎子供地蔵――――――「文學界」一九八二年八月号
▶︎スケープゴート―――「文學界」一九八三年三月号
▶︎ジャムの空壜――――「新潮」 一九八七年一月号
▶︎XYZへの手紙―――「文學界」一九八七年七月号
▶︎禁煙問答――――――「文藝」 一九二九八年秋季号
▶︎後記
―――――――――短編・中編小説―――――――――
『蜂アカデミーへの報告』
http://www.amazon.co.jp/dp/B00HM9SEJ6
わたしは昨年、スズメ蜂に刺され、九死に一生を得た。
わたしが蜂について考えはじめたのは、そのためである
信濃追分の山小屋で〈わたし〉は、スズメ蜂に刺され九死に一生を得た。その顛末と考察を、井伏鱒二の『スガレ追ひ』、ファーブルの『昆虫記』、永井荷風の『断腸亭日乗』、新聞記事の引用、蜂被害者に関する証言などをもとに、「蜂アカデミー」に宛てた報告書としてまとめる――。カフカの『アカデミーへの或る報告書』やメルヴィルの『白鯨』といった作品をパスティーシュした中編小説。雑誌「新潮」1985年10月号に発表、翌年、単行本として刊行。
―――――――――MEW(2016年10月30日リリース)―――――――――
「麓迷亭通信」
(単行本『日本近代文学との戦い』より)
https://www.amazon.co.jp/dp/B01MFDG9DQ
そして鴉の啼き声です。
カアー、カアー、カアー。カーオ、カーオ、カーオ。
信濃追分の「麓迷亭(ろくめいてい)」と名付けた山小屋で、『挾み撃ち』『四十歳のオブローモフ』『笑坂』『吉野大夫』を書いた頃、周囲はアカシヤの小木ばかりだった。現在その庭は、胡桃や栗、樅の木の密林に変わり、その奥の薮では、名前のわからない種々の雑木が折り重なるように繁っている。そして周囲の森には、鴉の大群が棲んでおり、森の上、崖の上、草むらの上で渦を巻いている――。本作の続編となる短編「栗とスズメ蜂」と呼応する連作小説。雑誌「群像」一九九六年一〇月号の「創作特集」に掲載。 (本文:8645字 )
―――――――――MEW(2016年10月30日リリース)―――――――――
「栗とスズメ蜂」
(単行本『日本近代文学との戦い』より)
https://www.amazon.co.jp/dp/B01M32X2R2
スズメ蜂の話にはならなかった。
ナムアミダブツ、ナムアミダブツ。
かつて信濃追分の山小屋・麓迷亭(ろくめいてい)で、「スズメ蜂に刺された男が、蜂アカデミーへの報告書を書く」という小説『蜂アカデミーへの報告』を執筆した「私」が、また新たにスズメ蜂の話を披露しようとする。しかし、「これから披露しようと思うスズメ蜂の話は、その小説とはまったく無関係」だという。それは、その夏を過ごした麓迷亭を引揚げよういう日に迷い込んできたスズメ蜂の話だった――。前作「麓迷亭通信」の続編として呼応する連作小説。雑誌「群像」一九九七年一〇月号の「短編小説特集」に掲載。
―――――――――MEW(2016年9月30日リリース)―――――――――
(単行本『日本近代文学との戦い』より)
https://www.amazon.co.jp/dp/B01LPAT0NQ
日本近代小説は西欧文学との混血=分裂の産物である
彼等は書きたがるが、読みたがらない。読まずに書こうとする。そこで私は「千円札文学論」を学生たちに繰返し吹き込んでいる。すなわち、千円札の表は夏目漱石である。漱石は大文豪である。しかし漱石がいかに大文豪であっても、表側だけでは贋千円札である。電車の切符一枚買うことは出来ない。本物には表と裏が必要である。表と裏が文字通り表裏一体となってはじめて本物の千円札である。小説もこれと同じであって、いま仮に読むことを表とすれば、書くことは裏である。読むだけでは小説にならない。書くだけでは贋物である。読むこと=表、書くこと=裏が一体となってはじめて本物の小説といえる。――(『日本近代文学との戦いⅠ:私語と格闘』より)
夏目漱石、芥川龍之介、宇野浩二、永井荷風、横光利一、牧野信一、太宰治、坂口安吾……。彼らが格闘した「日本近代小説」とは何か? それは西欧文学との「混血=分裂」の産物である。二葉亭四迷の『浮雲』からはじまった日本近代小説を「千円札文学論」によって読み解く未完の連作小説。単行本『日本近代文学との戦い――後藤明生遺稿集』(柳原出版)に所収。
◉目次および初出
▶︎日本近代文学との戦いⅠ:私語と格闘………………「新潮」一九九七年一月号
▶︎日本近代文学との戦いⅡ:二葉亭四迷の罠…………「新潮」一九九七年七月号
▶︎日本近代文学との戦いⅢ:楕円と誤植………………「新潮」一九九七年九月号
▶︎日本近代文学との戦いⅣ:「真似」と「稽古」……「新潮」一九九八年一月号
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「私的生活」
(単行本『私的生活』より)
http://www.amazon.co.jp/dp/B00HXQGS2I
「もしもし、ご主人はいらっしゃいますか?」
あるときは女の声で、あるときは男の声で、思い出したようにかかってくる電話。しかし、男も女も、決して自分の名を名乗らない。「わたしがこの団地にいることを、忘れないで下さい」と告げる声の主は、以前に不倫関係にあった女性か? それとも、現在、不倫関係にある女性か? あるいは、その夫か? 「新潮」1969年9月号に発表された中編小説。第60回・芥川龍之介賞候補作。単行本『私的生活』所収。
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「笑い地獄」
(単行本『笑い地獄』より)
http://www.amazon.co.jp/dp/B00I7EOL8I
「あいつは笑われたくないために、
いつも自分から先に笑い出しているのだ」
週刊誌のゴーストライターである〈わたし〉は、気鋭のファッションデザイナーが主催するワイルド・パーティに潜入取材を試みる。しかし、パーティの最中に眠り込んでしまい……。お互いが「笑う/笑われる」関係の中で起きるグロテスクな悲劇と喜劇。「早稲田文学」1996年2月号に発表された中編小説。第61回・芥川龍之介賞候補作。 単行本『笑い地獄』に所収。
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「パンのみに非ず」
(単行本『笑い地獄』より)
http://www.amazon.co.jp/dp/B00II278GQ
わたしは見張りだ。山の中の断食道場の見張りである。
三年前から断食道場での見張り役を仕事とする〈わたし〉。しかしこれまで、脱走者は出てはいない。初めての脱走者が出た晩、〈わたし〉は言う。「あの断食道場に、もし脱走する権利のあるものがいるとすれば、それは、このわたし以外には、ないわけですよ」――。非日常の中で生じる「見張り/見張られる」関係の逆転。カフカの『断食芸人』を新たな解釈でリメイクした中編小説。「文学界」1969年2月号に発表。単行本『笑い地獄』に所収。
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「何?」
(単行本『何?』より)
http://www.amazon.co.jp/dp/B00IQY0ILS
「いったい自分は何ものであるのか、
何ものたらんと欲しているのだろう」
会社を辞め職安に通う37歳の〈男〉は、東京郊外の3DKの団地に暮らしている。結婚して10年で10キログラムも太った妻は断食を試み、戦後生まれの二人の子供たちは飢えを知らない。〈男〉も戦中戦後の飢えの記憶がすでに失われ、ふしぎな不安に襲われる。団地という〈記憶を抹殺する流刑地のような場所〉での日常を描いた中編小説。「季刊芸術」1970年春季号に発表。単行本『何?』に所収。
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「ある戦いの記録」
(単行本『何?』より)
http://www.amazon.co.jp/dp/B00J1RXFQ4
「わたしの内なる被害者面をした疎外氏よ、さらば!」
半年前まで無名の画家だった〈わたし〉は、アパートの隣室に住む女性のため、密かに自動式自慰機械の開発に没頭する。製作開始から三カ月、あとは「偉大なる人工性器」が入手できれば完成する。それは〈わたし〉にとっての「戦い」だったのだが……。カフカ作品のパロディがちりばめられた不条理中編小説。「新潮」1969年12月号に発表。単行本『何?』に所収。
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「書かれない報告」
(単行本『書かれない報告』より)
http://www.amazon.co.jp/dp/B00JCR01A6
電話によるとつぜんの指名が男をおどろかせた。
しかしおどろいたのは電話だったせいではない。
自身が暮らす団地についてのレポートを依頼された〈男〉は、ダイニングキッチンの天井からの水漏れや、流し台の白壁の傷から這い出る蟻など、住まいについての考察をめぐらせていく。自問を繰り返した〈男〉は、「はっきりしていることは、唯一つだった。住居はすでに男の一部だ」という結論に至る——。マンモス団地に暮らす〈無名の男〉を描いた中編小説。「文芸」1970年8月号に発表。単行本『書かれない報告』に所収。
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「関係」
(単行本『関係』より)
http://www.amazon.co.jp/dp/B00JNXET48
「君なんかが想像している以上に
雑誌出版界の人間関係は狭苦しく入り乱れている」
婦人雑誌の女性編集者の視点から、原稿を発注する側と受注される側、大学の先輩・後輩・同級生、そして男と女の、徐々に入り組みややこしくなっていく人間関係を描いた中編小説。「文藝」1962年3月号(同誌の復刊第1号)に発表。第1回・文藝賞〈中短編部門〉佳作として掲載。単行本『関係』に所収。
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「疑問符で終る話」
(単行本『疑問符で終わる話』より)
http://www.amazon.co.jp/dp/B00K4POS6S
とにかく被害者にだけはならないことだ。
なにがなんでも被害者にだけはなるべきではない。
鉄筋コンクリート五階建ての団地の二階に暮らす〈男〉の家で、ある日とつぜんテレビの調子がおかしくなった。その白黒テレビを修理すべきか? カラーテレビに買い替えるべきか? 何度もセールスに訪れるテレビ屋を、果して敵と呼ぶべきだろうか? そして、そのテレビ屋の名前は? 〈男〉は様々な事柄に自問し続ける……。「文學界」1971年3月号に発表。単行本『疑問符で終る話』ほかに所収。
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「行方不明」
(単行本『疑問符で終わる話』より)
http://www.amazon.co.jp/dp/B00KFU7MSI
シグマ研究所の所長とは、果して存在するものであろうか?
団地専門の週刊身上相談新聞を無料で発行するシグマ研究所で、割付けならびに校正の仕事をする〈わたし〉は、不可解な事件に巻き込まれる。四週間も新聞が配達されていない地域があるというのだ。事件の犯人や全体像もわからぬまま、〈わたし〉は「行方不明になっているのは、ひょっとすると、君の現実なのだ」と宣言される——。「新潮」1971年8月号に発表。単行本『疑問符で終る話』ほかに所収。
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(単行本『謎の手紙をめぐる数通の手紙』より)
http://www.amazon.co.jp/dp/B00KPIE4J0
前略、この手紙を書くことを、
小生ずいぶんながい間、躊躇して参りました。
面識も心当たりもない男から手紙が届く。手紙は「どのようにして小生の鼻に関する秘密を知ったのか?」という内容だった。その問いをめぐって、「エニグマ」と名乗る男と、その同僚とおぼしき人物、その同級生でエニグマがよく知っているとおぼしき男とのあいだで、謎の手紙が交わされる——。「エニグマ」とは誰か? 「小生の鼻に関する秘密」とは何か? 「すばる」1983年9月号に発表。単行本『謎の手紙をめぐる数通の手紙』ほかに所収。
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(単行本未収録)
http://www.amazon.co.jp/dp/B00L0IDN64
「わたしの住む世界はいつも楕円形にひしゃげ、歪んでいるのだ」
娼館通いの末に性病に感染した〈わたし〉、恋人でありながらもプラトニックな関係のままの〈サト子〉、同郷出身のクラスメイトで同棲中の〈C〉と〈C子〉。非科学的な精神と科学的な肉体との関係が、〈わたし〉の世界を歪めていく……。『文芸日本』1959年11月号に発表。単行本未収録作品。
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(単行本未収録)
http://www.amazon.co.jp/dp/B00LDT965C
吉田は家を捜している。家といってもアパートなのだ。
だから吉田は部屋を捜していることになる。
ある地方新聞の東京支局で取材記者をする〈わたし〉、その前任者で現在は日米PR会社に勤務する吉田とその妻、そして、某週刊誌の編集部員である福村とその妻——。日米PR会社のスポンサーの商品を宣伝するため、アルバイト原稿を書き続けるうちに、利害関係と人間関係が複雑に入り組んでいく。引っ越しを考えている吉田夫妻の部屋は、スポンサー企業の商品で飽和している。『円卓』1963年4月号に発表。単行本未収録作品。
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(単行本『私的生活』より)
http://www.amazon.co.jp/dp/B00UZSH84I
はたしてこれは、誰に向けられた「報告」なのか?
「北八ヶ岳の登山口に当る標高千九百メートルのこの温泉宿に、わたしは逃げてきたのだと考えるようになったのが、着いてから三日目のことだ」――。連日の痛飲で、とうとう血を吐いた〈わたし〉。しかし、大学病院で精密検査を受けたものの、結果は「異常なし」だった。「いまあなたが動くべき方角は戌亥の方向だ」という占い師の言葉を信じ、胃腸によくきくというS温泉を訪ねてきたのだが……。「新潮」1968年4月号に発表。単行本『私的生活』(新潮社・1969年)所収。 第59回・芥川龍之介賞候補作。
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「誰?」
(単行本『何?』より)
http://www.amazon.co.jp/dp/B00WJOD4JY
はたして男は、団地から脱出することができたのか!?
とにかく今日は家を出よう! とにかく団地から外へ出なければならない! 週刊誌でゴーストライターをする〈男〉は、ある朝、自宅のベランダから見た富士山から受けた、名づけ難い衝撃によって何かを打ち砕かれ、そう決意する。打ち砕かれたものが何かは、わからない。団地と団地のために土地を売った百姓たちが住む土地とを区切る、バイパスに架かる歩道橋を渡って脱出を試みるが——。「文学界」1970年2月号に発表された短編小説。単行本『何?』(新潮社・1970年)所収。
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「人間の病気」
(単行本『何?』より)
この病気は本人が自分は
正常であると思い込んでいるところに特徴がある——
ある婦人雑誌の編集部で働く〈わたし〉を含む正社員と嘱託のコラムニストたち。夏になると決まって下痢に悩まされる〈わたし〉は、言動が次第におかしくなっていく同僚のコラムニストを、病気ではないかと疑いはじめる。最初は病気を否定していた仲間たちも、その異常さを認識しはじめ、ある日、国立大学病院の神経科へ連れてゆくことに……。「文學界」1967年3月号に発表。第57回・芥川龍之介賞候補作。単行本『笑い地獄』(文藝春秋・1969年)ほかに所収。
―――――――――小説論・作家論―――――――――
『小説―いかに読み、いかに書くか』
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いとうせいこう氏の小説『鼻に挟み撃ち』でも
“名著”と絶賛された小説論!
なぜ小説を書きたいと思うのか? それは小説を読んだからだ——「読む」ことと「書く」ことの関係を結びつけながら、ドストエフスキーの名言「われわれは皆ゴーゴリの『外套』から出てきた」の深淵に迫る。田山花袋、志賀直哉、宇野浩二、芥川龍之介、永井荷風、横光利一、太宰治、椎名麟三の作品を俎上に載せ、明治、大正、昭和、戦後の日本近代小説の流れを「小説の方法」というコンテキストの中で組み立て直した小説論。1983年に講談社現代新書より刊行。
◉目次
▶︎プロローグ:小説を書くことは読むことからはじまる
▶︎第一章:「事実」かフィクションか……田山花袋『蒲団』
▶︎第二章:裸眼による「直写」……………志賀直哉『網走まで』『城の崎にて』
▶︎第三章:文体―接続詞とは何か…………宇野浩二『蔵の中』
▶︎第四章:虚構としての心理と意識………芥川龍之介『藪の中』、永井荷風『濹東綺譚』
▶︎第五章:中心を失った「関係」の発見…横光利一『機械』
▶︎第六章:「私小説」のパロディー化……太宰治『道化の華』『懶惰の歌留多』
▶︎第七章:「異様なる日常」の世界………椎名麟三『深夜の酒宴』
▶︎エピローグ:「話し言葉」と「書き言葉」
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あるいはニコライ・ゴーゴリ』
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なぜ悲劇は喜劇となるのか?
「われわれは皆ゴーゴリの『外套』から出て来た」とドストエフスキーは語った。そのゴーゴリの〈笑い〉を方法論的に解説し、現代文学の問題として捉え直す――。著者が19歳のときに出会い、20年以上も拘泥し、翻弄され、格闘しつづけてきた、帝政ロシア時代の小説家・劇作家の迷宮的作品世界を、新たな文脈で解き明かそうと試みたエッセイ風の作家論。1982年、中央公論社より刊行。同年、第1回・池田健太郎賞受賞。
◉目次
▶︎第一章:墓碑銘
▶︎第二章:笑いの方法
▶︎第三章:ペテルブルグの迷路
▶︎第四章:さまよえるロシア人
▶︎第五章:方法としての喜劇
▶︎ニコライ・ヴァシーリエヴィチ・ゴーゴリ年譜
▶︎後記
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ザムザが変身した虫のは楕円形のゴキブリである
カフカの小説を読むたびに、その世界が増殖していく。もちろんカフカの小説、テキストが増殖するわけではない。増殖するのは、わたしの中のカフカ世界だ——。小説とは「あらゆるジャンルとの混血=分裂によって無限に自己増殖する超ジャンルである」と定義し、『変身』『審判』『判決』『万里の長城』などの作品をアミダアクジ式に脱線しながら読み解いていく、エッセイ風カフカ論。1987年3月、岩波書店より刊行。
◉目次
▶︎第1章:認識の迷宮あるいは方法としての悪夢
▶︎第2章:「ズレ」と「笑い」の拡大装置
▶︎第3章:変身
▶︎第4章:カフカ言語
▶︎第5章:万里の長城
▶︎第6章:不可知への回路